呑気に音楽なんかやって? 限界だから音楽?

  2002年、メンフィス
2003年、ニューオリンズ
2004年、シカゴ
20007年ニューオリンズと4回ゴスペルの源流を訪ねる旅をした
本場の音楽を体感するという興奮は
暗い過去を知る事で相殺された
黒人奴隷の歴史と音楽の関わりなどを知ることで
生活の中で音楽が心の支えになったという歴史と
現在も抱えている人種差別への彼らの対処を知った
音楽書評などで
「魂の叫び!」というキャッチフレーズを良く見るが
現地を見た後ではなんだかなぁ~という印象
農園の再現現場では、奴隷小屋に食器は無く
丸太をくり抜き、そこに食料を入れていた
まさに、家畜状態
奴隷取引では、単位は$/Kg 重さで値段をつけていた
週末農業をやって感じる事だけど
強制労働は厳しかっただろうな・・・・
そんな環境で生まれたゴスペル
限界を耐えるための音楽だったのだろう
現地の教会の中で繰り返される曲は芸術的ではなく
脳みその垢をとるというか
発散の場所なんだろうね
http://www004.upp.so-net.ne.jp/gospel-river/index.htm
http://homepage2.nifty.com/voices/kam/travel/newo.html
昨日の楽器店主催発表会を見ていて
なぜか
あ~ この人たちは呑気系? それとも?と考えてしまった